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型枠大工の世界では、よく言われる。
「階段ができるようになったら一人前」
自分もずっと信じていた。
だから初めて一人で階段を納めた時は、かなり嬉しかった。
いや、嬉しかったというより、完成した。
自分が。
階段ではない。
自分が完成したと思っていた。
出来上がった階段を下から見上げながら、
「ここまで来たか」
と思った。
誰も表彰していない。
親方も横で普通に仕事をしている。
でも自分の中では、すでにエンドロールが流れていた。
型枠大工人生、完。
今考えると恐ろしい。
型枠大工の技量がレベル10まであるとしたら、当時の自分はたぶんレベル6くらいだった。
でも本人は完全にレベル10の顔をしていた。
ここが一番恥ずかしい。
レベル6なのは別にいい。
問題は、レベル6がレベル10の歩き方をしていたことである。
階段ができるようになった直後から、急に現場の見え方が変わった。
壁を見る。
「まあ、壁ね」
柱を見る。
「はいはい、柱ね」
梁を見る。
「梁もね」
何をそんなに知っているのか。
昨日まで普通に苦戦していた男である。
でも一回階段をやっただけで、急に全ての型枠を一度クリアしたゲームみたいに見始める。
新人が作業しているのを見ても、
「そこ、ちょっと違うんだよな」
みたいな顔をする。
言わない。
ただ、顔だけは親方である。
顔面だけレベル10。
たまに自分が作った階段の前を通ると、必ずチラッと見る。
まだある。
当たり前である。
コンクリートでできている。
一晩で消えるわけがない。
でも見る。
そして心の中で、
「まあ、俺がやったんだけどね」
と思う。
通るたびに見る。
朝見る。
昼見る。
帰りにも見る。
一日に三回エンドロールを流していた。
しかも階段をやった経験があるというだけで、会話にも少し余裕が出てくる。
誰かが、
「今度の現場、階段あるらしいよ」
と言う。
すると自分の中のレベル10が出てくる。
「へえ、階段ね」
へえ、ではない。
お前、一回やっただけである。
一回。
それなのに言い方だけは、年間三百本くらい階段をやってきた人のそれだった。
たぶん当時の自分に、
「階段どうやってやるの?」
と聞いたら、ちょっと間を置いて答えていたと思う。
すぐ答えると軽く見られるからである。
一回しかやっていないのに。
場合によっては、
「まあ、階段は現場によるからね」
とか言っていたかもしれない。
一回しかやっていないのに。
この「一回しかやっていないのに」が、当時の自分には全く見えていなかった。
階段ができた。
だから一人前。
一人前。
つまり、もう上の方。
この計算だった。
実際には、階段より難しい納まりは死ぬほどあるし、ここから先に行くには、技術だけではどうにもならない。
監督や他業者とのやり取り、工程、材料、人員の配置、図面を読み取る力、現場全体を見る力、未来を予測する力。
ここから急に、腕だけではどうにもならなくなる。
でも、その頃の自分に、
「お前まだレベル6だぞ」
と言っても、たぶん聞かなかった。
「いや、階段できるんで」
と言っていたと思う。
強い。
何に対しても階段で返してくる。
「まだ知らないこと多いぞ」
「でも階段できます」
「もっと経験必要だぞ」
「階段できます」
「それ一回しかやってないだろ」
「でも、できました」
完全に階段を免許証みたいに使っている。
今なら分かる。
あの頃の自分は、一人前になったのではない。
一人前になったと思い込めるくらいには、仕事を覚えただけだった。
そして、その中途半端に仕事を覚えた時期が、一番危ない。
何も知らない新人は、ちゃんと分からない顔をしている。
本当にうまい人は、分からないことがまだあるのを知っている。
一番厄介なのは、その真ん中で、
「だいたい分かった」
と思っている人間である。
まさに自分だった。
レベル6。
顔だけレベル10。
歩き方レベル10。
発言だけレベル10。
実力だけ、ちゃんと6。
ただ、今は少し違う。
昔みたいに、
「もうだいたい分かった」
とは思わなくなった。
むしろ、分かれば分かるほど、分からないことが増えてきた。
あの頃は階段ができただけでレベル10の顔をしていたのに、今は少し仕事ができるようになった分だけ、
「あ、まだ全然上あるな」
と思う。
それでも、レベル10にはなりたい。
技術も。
段取りも。
人の動かし方も。
材料の読みも。
現場全体を見る力も。
全部ひっくるめて、
「あの人に任せておけば大丈夫」
と思われる型枠大工になりたい。
たぶんレベル10になった本人は、
「俺、レベル10です」
なんて言わないんだと思う。
それを言った瞬間、また昔の自分が出てくる。
顔だけレベル10の、あいつが。
だから今は、なるべく鼻を低くしてやっている。
レベル6だった頃よりは、少し進んだと思う。
まだまだ覚えることはある。
ただ最近、ちょっとだけ現場がうまく回った日に、
「今の自分、レベル8くらいあるんじゃないか」
と思う時がある。
危ない。
調子に乗りやすいあいつが、まだ中にいる。
つよし
今日は、久しぶりに会った人がいる。
とある、建設会社の部長さんだ。
昔から型枠の仕事でお世話になっていて、自分の夫婦の考え方や、子育ての考え方にも大きな影響を受けた人である。
昔から、その人の話は不思議だった。
「なるほど」と思うこともあれば、
「そんな考え方があるのか」
と思うこともあった。
たぶん今の自分は、その人から教わったことを、気づかないうちに子育てにも夫婦生活にも持ち込んでいる。
少し話をしたあと、その人が聞いてきた。
「子育ては順調か?」
順調。
子どもは元気である。
よく笑う。
よく食べる。
でも、言うことは聞かない。
「いやぁ、全然言うこと聞いてくれないですよ」
そう答えた。
すると、その人は笑いながら言った。
「お前と同じだな。」
その瞬間、自分は何も言えなかった。
確かにそうだった。
自分は親の言うことを素直に聞く子だったか。
全然そんなことはない。
「危ないからやめなさい。」
と言われても、五分後にはまた同じことをしていた。
「そこ登るな。」
と言われたら、なぜか登りたくなる。
「走るな。」
と言われたら、急に全力で走りたくなる。
親は止めようとしている。
一回怒られたくらいでは止まらない。
二回怒られても止まらない。
三回目くらいになると、
「次はバレないようにやろう。」
と学習する。
学ぶ方向がおかしい。
親はたぶん、
「そこじゃない。」
と思っていたはずである。
それなのに、自分は親になった途端、
「何で言うこと聞かないんだ。」
と思っていた。
ずいぶん都合がいい。
人間というのは、本当に忘れる生き物である。
自分が子どもだった頃のことを。
親にどれだけ迷惑をかけたかを。
怒られたことを。
心配をかけたことを。
全部きれいに忘れて、
今度は親の立場から子どもを見ている。
あの一言を聞いた時、自分の子どもを見ているつもりが、昔の自分を見ていたことに気づいた。
言うことを聞かない。
落ち着かない。
興味を持ったら一直線。
たしかに似ている。
似ているから腹が立つのか。
似ているから心配なのか。
そこはまだよく分からない。
でも、一つだけ思った。
親も、こんな気持ちだったのかもしれない。
何度言っても聞かない。
それでも毎日言う。
怒って、笑って、また怒って。
それを何年も続ける。
親というのは、思っていたより気の長い仕事である。
子どもが言うことを聞かないのではない。
子どもは子どもなりに、一生懸命生きているだけなのかもしれない。
昔の自分がそうだったように。
そう考えると、少しだけ気持ちが楽になった。
もちろん、危ないことは止める。
ダメなことはダメと言う。
それは親の仕事だ。
でも、全部思い通りにしようとしなくてもいいのかもしれない。
自分だって、思い通りには育たなかった。
それでも何とか大人になった。
あの日の自分に、
「ちゃんと言うことを聞け。」
と言っても、たぶん聞かない。
今の子どもも、きっと同じなのだろう。
「お前と同じだな。」
たった一言だった。
でも、その一言で、自分は子どもを見る目が少し変わった。
子どもを育てているつもりだった。
でも実際は、自分が育てられているのかもしれない。
つよし
最初にHANAを知ったのは、妻がキッカケだった。
「これ見てみて」
そんな感じで勧められた。
画面には、七人の女の子がいた。
一人ひとり雰囲気が違って、いわゆる同じ方向に揃えた感じではなかった。
自分は見ながら、
「個性的なグループだね」
と言った。
たぶん、そのあとに、
「自分はそんなに興味ないかな」
みたいなことも言った。
今思うと、少し冷たかった。
妻は別に怒るでもなく、
「あ、そう」
くらいで終わった。
その会話も、それで終わった。
ただ、自分の中では終わっていなかった。
一人でいる時に、また見た。
最初は本当に軽い気持ちだった。
一曲だけ。
少しだけ。
そんなつもりだった。
でも、気づくと他の動画も見ていた。
別の曲も見た。
インタビューも見た。
オーディションの映像も見た。
かなり見ていた。
妻に興味ないと言った人間の行動ではない。
ただ、ここで問題がある。
一度「興味ない」と言ってしまうと、急に好きになったことを申告しづらい。
夫婦の間には、たまにこういう小さな意地がある。
別に誰も勝負していないのに、負けたくない。
何に負けるのかは、よく分からない。
そんなことをしているうちに、自分はHANAがどういうグループなのかを知った。
No No Girls。
何度も「NO」と言われてきた人たちのためのオーディション。
見た目。
声。
年齢。
才能。
いろいろな理由で、誰かに否定されたり、自分で自分を否定してきたりした人たちが集まった。
そこから七人が選ばれた。
そのことを知ってから、見え方が変わった。
最初はただ、
個性的な七人だな、
と思っていた。
でも、その個性は最初から自信満々で持っていたものではなかったのかもしれない。
むしろ、否定されてきた部分を、どうにか抱えたままここまで来たのかもしれない。
そう思うと、歌っている姿が少し違って見えた。
人は、成功した後だけを見ると強そうに見える。
舞台に立っている人。
賞を取る人。
歓声を浴びる人。
そこだけを見ると、最初から自信があったように見える。
でも実際は、そんなことはないのだと思う。
誰かに否定される。
自信をなくす。
もうやめようかなと思う。
それでも続ける。
また否定される。
それでも続ける。
たぶん、その繰り返しの先に、あの舞台があった。
そう考えると、急に他人事ではなくなった。
自分も型枠大工をしていて、うまくいかないことはある。
何年やっていてもある。
自信がなくなる日もある。
このやり方でいいのかと思う日もある。
何か新しいことを始めようとしても、
今さら遅いんじゃないか。
向いていないんじゃないか。
そんなことを考える。
誰かに「NO」と言われなくても、自分で勝手に言っている。
大人になると、こっちの方が多い気がする。
自分で自分に出す不合格通知は、かなり厄介である。
しかも、出す側も受け取る側も自分なので、反論しづらい。
HANAを見ているうちに、少しずつそんなことまで考えるようになった。
そして、レコード大賞の最優秀新人賞を取った。
その瞬間を見た時、自分でも驚くくらい感動した。
最初に妻から勧められた時は、
「個性的だね」
で終わらせたグループだった。
そんな自分が、少し泣いていたかもしれない。
人生は分からない。
妻のおすすめも、あまり雑に扱わない方がいい。
そこから始まった感動だった。
もちろん、賞を取ったこと自体もすごい。
でも、自分が一番心を動かされたのは、
「NO」と言われてきた人たちが、それで終わらなかったことだった。
否定されたことが、最後の答えではなかった。
その時に認められなかったことが、その人の価値ではなかった。
場所が変われば見つけてもらえることがある。
出会う人が変われば、欠点だと思っていたものが個性になることもある。
そして、自分で嫌いだった部分が、いつか誰かに必要とされることもある。
そんなことを、あの七人が見せてくれたような気がした。
たぶん、自分が感動したのは、彼女たちの過去を知っているからではない。
自分にも少しだけ、似たような気持ちがあるからだと思う。
誰かに認めてもらいたい。
今の自分で終わりたくない。
まだ何かできるんじゃないかと思いたい。
そういう気持ちは、大人になっても案外なくならない。
むしろ、歳を取るほど隠すのが上手くなるだけなのかもしれない。
だから、HANAが大きな舞台で名前を呼ばれた時、
よかったな、
と思った。
そして、そのあと少しだけ、
自分もまだ決めつけなくていいのかもしれない、
と思った。
何が向いているか。
何ができるか。
どこまで行けるか。
今の時点で全部決めなくていい。
「NO」を言われたところが、人生の終点とは限らない。
そんな当たり前のことを、久しぶりに信じたくなった。
妻に最初に勧められた時、もう少しちゃんと見ておけばよかった。
とは思う。
でも、たぶんあの時の自分には、まだ分からなかったのだろう。
何度も見て、
背景を知って、
少しずつ好きになって、
最後に感動した。
もしこの記事を読んでいる人で、まだHANAを知らない人がいたら、一度見てみてほしい。
最初は、自分と同じように、
「個性的なグループだな」
くらいにしか思わないかもしれない。
でも、その七人がどこから来たのか。
どういう思いで集まったのか。
何を乗り越えて、あの場所まで来たのか。
そこまで知ると、見え方は少し変わると思う。
少なくとも、自分は変わった。
妻に「そんなに興味ないかな」と言った人間が、今こうして記事まで書いている。
妻にはまだ、
「最初興味ないって言ったけど、実はかなり見てる」
とは言っていない。
ただ、たぶんバレている。
そのうち言おうと思う。
つよし
仕事が終わって、家の駐車場に着いているのに、すぐに車から降りられない日がある。
エンジンを切る。
急に静かになる。
すると、今日の疲れが助手席に座る。
乗せた覚えはない。
「今日も大変でしたね」みたいな顔をしているが、お前が一番大変にしている。
降りろ。
スマホを見るわけでもない。音楽を聴くわけでもない。誰かに連絡を返すわけでもない。ただ、座っている。
家に帰りたくないわけではない。
家族に会いたくないわけでもない。
むしろ、早く帰った方がいいことは分かっている。子どもが待っているかもしれないし、妻も一日中、こちらの知らない疲れを抱えて過ごしていたはずで、自分だけが今日の疲れを代表みたいな顔で持ち込んでいいわけではない。
分かっているのに、少しだけ車にいる。
あの数分は、いったい何なのだろう。
休憩なのか。
反省なのか。
現実逃避なのか。
それとも、父親になる前の読み込み時間なのか。
たぶん最後である。
画面には出ていないが、頭の中ではこう表示されている。
「父親モードを起動しています。しばらくお待ちください」
しかも、たまに止まる。
87パーセントくらいで止まる。
原因はだいたい、今日の仕事である。
あの時の言い方、少しきつかったかな。
明日の仕事、どういう段取りでいこうかな。
支払い、大丈夫かな。
求人、誰か来ないかな。
冷蔵庫に何かあるかな。
家の中に入れば、自分は父親になる。夫になる。それは嫌なことではない。むしろ、大事なことだと思っている。
でも、現場の顔のまま玄関を開けると、たまに事故る。
疲れているだけなのに、機嫌が悪いように見える。
考えごとをしているだけなのに、怒っているように見える。
黙っているだけなのに、何か深刻なことを抱えている人に見える。
家族は悪くない。
こちらの顔が、まだ現場の顔のままになっているだけである。
鏡を見る。
顔がまだ現場である。
もう完全に現場。
顔に「安全第一」と書いてある。
だから、少しだけ車にいる。
そして、なるべく爽やかスマイルを意識して玄関を開ける準備をする。
そんなことを毎回考えているわけではない。ただぼんやりしているだけの日もある。今日も疲れたな、と思っているだけの日もある。帰ったら風呂に入りたいな、と思っているだけの日もある。何なら、降りるのが面倒くさいだけの日もある。
それを全部まとめて、切り替えと言えば少し聞こえがいい。
車を停めて、エンジンを切って、鍵を持って、荷物を持って、玄関まで歩く。たったそれだけのことに、少し気持ちの準備がいる日がある。
家には家の時間がある。
妻には妻の一日がある。
子どもには子どもの機嫌がある。
自分が帰ったからといって、玄関で回復魔法が発動するわけではない。
「おかえり」と同時に体力が全回復して、明日の段取りまで自動で整うなら助かるが、現実はそう甘くない。
むしろ家に入った瞬間、子どもが全力で何かを要求してくる可能性がある。
抱っこ。遊ぼう。これ見て。あれ取って。
謎の石。
謎の紙。
だからこそ、こちらも全力で対応する為に少しだけ準備する。
家が散らかっていても、それを最初の一言にしない。
妻に労いの言葉をかける。
子どもの謎の報告を、なるべく真剣に聞く。
自分の機嫌くらいは、自分でとって入る。
そんなことを、毎回きれいにできているわけではない。
できていない日の方が多いかもしれない。
ただ、『そうありたい』とは思っている。
思い返してみれば、若い頃、駐車場でいつまでも車から降りてこないおじさん達をよく見かけた。
あの頃は、何をしているのだろうと思っていた。
今なら少し分かる。
家に帰る前に、少しだけ車にいる。
たぶんそれは、自分なりに生活を大事にしようとしている証拠なのだと思う。大げさに言えばそうなるし、大げさに言わなければ、ただ疲れたおじさんが車から降りるまでに時間がかかっているだけである。
よし、と心の中で言う。
別に何もよくない。
でも、こういう時の「よし」は内容ではない。
勢いである。
玄関までの道のりを歩く。
さっきまで頭の中にいた支払いも、段取りも、反省も、不安も、全部消えたわけではない。消えたわけではないが、家に持ち込む形は少し変わった気がする。
助手席の疲れは、勝手に家までついてきている。
本当にしつこい。
でも、ただいまと言って、おかえりが返ってきた。
それだけで、さっきまで車から降りられなかった自分が、笑ってしまう。
けれど、今日一日を終わらせるには、これくらいで十分なのだと思う。
つよし