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日別アーカイブ: 2026年8月4日

家に帰る前に、少しだけ車にいる話

仕事が終わって、家の駐車場に着いているのに、すぐに車から降りられない日がある。

エンジンを切る。

急に静かになる。

すると、今日の疲れが助手席に座る。

乗せた覚えはない。

「今日も大変でしたね」みたいな顔をしているが、お前が一番大変にしている。

降りろ。

スマホを見るわけでもない。音楽を聴くわけでもない。誰かに連絡を返すわけでもない。ただ、座っている。

家に帰りたくないわけではない。

家族に会いたくないわけでもない。

むしろ、早く帰った方がいいことは分かっている。子どもが待っているかもしれないし、妻も一日中、こちらの知らない疲れを抱えて過ごしていたはずで、自分だけが今日の疲れを代表みたいな顔で持ち込んでいいわけではない。

分かっているのに、少しだけ車にいる。

あの数分は、いったい何なのだろう。

休憩なのか。

反省なのか。

現実逃避なのか。

それとも、父親になる前の読み込み時間なのか。

たぶん最後である。

画面には出ていないが、頭の中ではこう表示されている。

「父親モードを起動しています。しばらくお待ちください」

しかも、たまに止まる。

87パーセントくらいで止まる。

原因はだいたい、今日の仕事である。

あの時の言い方、少しきつかったかな。

明日の仕事、どういう段取りでいこうかな。

支払い、大丈夫かな。

求人、誰か来ないかな。

冷蔵庫に何かあるかな。

家の中に入れば、自分は父親になる。夫になる。それは嫌なことではない。むしろ、大事なことだと思っている。

でも、現場の顔のまま玄関を開けると、たまに事故る。

疲れているだけなのに、機嫌が悪いように見える。

考えごとをしているだけなのに、怒っているように見える。

黙っているだけなのに、何か深刻なことを抱えている人に見える。

家族は悪くない。

こちらの顔が、まだ現場の顔のままになっているだけである。

鏡を見る。

顔がまだ現場である。

もう完全に現場。

顔に「安全第一」と書いてある。

だから、少しだけ車にいる。

そして、なるべく爽やかスマイルを意識して玄関を開ける準備をする。

そんなことを毎回考えているわけではない。ただぼんやりしているだけの日もある。今日も疲れたな、と思っているだけの日もある。帰ったら風呂に入りたいな、と思っているだけの日もある。何なら、降りるのが面倒くさいだけの日もある。

それを全部まとめて、切り替えと言えば少し聞こえがいい。

車を停めて、エンジンを切って、鍵を持って、荷物を持って、玄関まで歩く。たったそれだけのことに、少し気持ちの準備がいる日がある。

家には家の時間がある。

妻には妻の一日がある。

子どもには子どもの機嫌がある。

自分が帰ったからといって、玄関で回復魔法が発動するわけではない。

「おかえり」と同時に体力が全回復して、明日の段取りまで自動で整うなら助かるが、現実はそう甘くない。

むしろ家に入った瞬間、子どもが全力で何かを要求してくる可能性がある。

抱っこ。遊ぼう。これ見て。あれ取って。

謎の石。

謎の紙。

だからこそ、こちらも全力で対応する為に少しだけ準備する。

家が散らかっていても、それを最初の一言にしない。

妻に労いの言葉をかける。

子どもの謎の報告を、なるべく真剣に聞く。

自分の機嫌くらいは、自分でとって入る。

そんなことを、毎回きれいにできているわけではない。

できていない日の方が多いかもしれない。

ただ、『そうありたい』とは思っている。

思い返してみれば、若い頃、駐車場でいつまでも車から降りてこないおじさん達をよく見かけた。

あの頃は、何をしているのだろうと思っていた。

今なら少し分かる。

家に帰る前に、少しだけ車にいる。

たぶんそれは、自分なりに生活を大事にしようとしている証拠なのだと思う。大げさに言えばそうなるし、大げさに言わなければ、ただ疲れたおじさんが車から降りるまでに時間がかかっているだけである。

よし、と心の中で言う。

別に何もよくない。

でも、こういう時の「よし」は内容ではない。

勢いである。

玄関までの道のりを歩く。

さっきまで頭の中にいた支払いも、段取りも、反省も、不安も、全部消えたわけではない。消えたわけではないが、家に持ち込む形は少し変わった気がする。

助手席の疲れは、勝手に家までついてきている。

本当にしつこい。

でも、ただいまと言って、おかえりが返ってきた。

それだけで、さっきまで車から降りられなかった自分が、笑ってしまう。

けれど、今日一日を終わらせるには、これくらいで十分なのだと思う。

つよし