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日別アーカイブ: 2026年7月26日

男性には譲らないが、女性には100%譲っている話

運転している時、自分の中にとても小さい男が出てくることがある。

本当に小さい。

豆粒くらいである。

普段はどこに隠れているのか分からないが、ハンドルを握った瞬間、急に出てくる。

たとえば、細い道で車同士が向かい合った時。

こちらが少し下がれば通れる。

相手が少し寄れば通れる。

どちらかが譲れば、何の問題もない。

本来なら、それだけの話である。

しかし、相手が男だと、自分の中の小さい男がでてきて、言う。

「いや、こっちが先だったよな」

出た。

本当にしょうもない。

別に急いでいるわけでもない。

後ろに救急車がいるわけでもない。

今日中に地球を救わなければいけないわけでもない。

ただ、相手が男というだけで、なぜか少し譲りたくなくなる。

相手の顔が少し強そうだと、なおさらである。

こちらも強そうな顔を作る。

「いや、自分も別に引きませんけど」という顔だけはする。

その顔をしながら、心の中では思っている。

早く譲れよ。

自分である。

自分が譲ればいい。

分かっている。

分かっているのに、なぜか男同士になると、細い道が急に決闘場になる

でも、相手が女性だと話が変わる。

すぐ譲る。

ものすごく譲る。

「どうぞどうぞ」という顔をする。

こちらから下がる。

こちらから寄る。

場合によっては少し笑顔までつける。

何なら、心の中で誘導員になっている。

はい、どうぞ。

ゆっくりで大丈夫です。

そのまま、そのまま。

はい、いけます。

お気をつけて。

急に人間ができている。

同じ道である。

同じ車である。

同じ自分である。

なのに相手が違うだけで、器の大きさが変わる。

これはかなり問題である。

自分は優しい人間なのではないかもしれない。

ただ、相手によって器の蛇口を開けたり閉めたりしているだけである。

しかも自分は、型枠大工である。

現場では、譲り合いがないと仕事にならない。

鳶さんがいる。

電気屋さんがいる。

鉄筋屋さんがいる。

設備屋さんがいる。

監督さんがいる。

生コン車が入る日もある。

ポンプ屋さんが動く日もある。

自分たちだけで現場を使っているわけではない。

狭い場所で、誰が先にやるか。

どこに材料を置くか。

どのタイミングで作業に入るか。

次の人が仕事しやすいように、どこを空けておくか。

現場では、そういうことを普通に考える。

型枠だけが偉いわけではない。

自分たちが組んだ後に、次の仕事がある。

自分たちが好き放題すれば、次の人が困る。

自分たちが無理に通れば、誰かの作業を止めることもある。

だから現場では、意外と譲っている。

「先どうぞ」

「ここ空けます」

「こっちから回ります」

「そこ使うなら、材料寄せます」

わりと普通に言っている。

なのに道路では、なぜか男相手に譲れない時がある。

どういうことなのか。

現場ではあれだけ「ご安全に」と言っている人間が、細い道では安全第一を助手席から降ろしている。

戻ってこい。

安全第一。

お前は現場だけの言葉ではない。

道路にも必要である。

型枠の仕事は、正直な仕事である。

通りが悪ければ、コンクリートもその形になる。

締めが甘ければ、打設の時に怖い。

段取りが悪ければ、次の人が困る。

だから現場では、先を読む。

ここで無理したら後で詰まる。

ここを空けておいた方が後が楽。

今は自分が下がった方が早い。

相手を先にやらした方が全体が進む。

そんなことを毎日考えている。

つまり自分は、本当は知っているはずなのだ。

譲った方が早いことを。

下がった方が全体が進むことを。

意地で突っ張っても、結局あとで面倒になることを。

型枠では分かっている。

現場では分かっている。

なのに、運転中の自分だけが分かっていない。

たぶんハンドルを握ると、脳みそのどこかが少し現場未経験になる。

新人である。

道路に関してだけ新人である。

しかも態度の悪い新人である。

「いや、自分、下がらないっす」

下がれ。

早く下がれ。

現場なら親方に怒られるやつである。

本当に器が大きい人は、普通に譲る。

何も考えずに譲る。

それだけで終わる。

一方、自分は違う。

まず考える。

どっちが先だったか。

相手は譲る気があるのか。

ここで自分が下がったら負けなのか。

いや、そもそも何の勝負なのか。

そうこうしている間に、時間だけが過ぎる。

周りから見れば、ただの交通の詰まりである。

本人の中だけで、なぜか誇りの問題になっている。

誇りというほど立派なものではない。

ただの意地である。

昔は、こういうものを男らしさだと思っていた時期もあったかもしれない。

譲らない。

引かない。

なめられない。

でも今になると、思う。

譲れない男より、譲れる男の方がカッコいい。

下がれる人の方が、よほど余裕がある。

型枠でもそうである。

無理に自分の場所だけ取ろうとする人より、周りを見て動ける人の方が仕事がしやすい。

「ここ通りますか」

「これ邪魔なら寄せます」

「先やってください」

こういう一言を言える人がいると、現場は変に詰まらない。

仕事がうまい人は、作業そのものだけではなく、周りとの取り合いもうまい。

型枠も、道路も、結局は取り合いである。

幅が限られている。

時間が限られている。

相手がいる。

無理に突っ込むと詰まる。

同じである。

同じなのに、道路では急にそれを忘れる。

かなり反省が必要である。

これを格好いい話として書くことはできない。

ただの小ささの告白である。

けれど、型枠大工として毎日現場で譲り合っているなら、道路でも同じようにできるはずである。

できるはず。

たぶん。

いや、できるようにしたい。

そう思いながら、次に細い道で男の車と向かい合った時は、自分から下がろうと思う。

道路で勝っても、何も得しない。

時間が早くなるわけでもない。

型枠の精度が上がるわけでもない。

ただ、知らない男と数秒間、無言でにらみ合った実績だけが残る。

そんなものは、いらない。

だから次からは譲る。

相手が男でも、こちらから下がる。

笑顔で「どうぞ」までは、まだ無理かもしれない。

そこは段階を踏ませてほしい。

まずは無表情で下がる。

慣れてきたら、軽く会釈もする。

最終的には、女性に譲る時と同じくらい自然に譲れる男になりたい。

ただ、正直に言う。

次に細い道で向かい合った相手が、ものすごく偉そうな男だったら、自信はない。

女性なら百メートルでも下がれる。

男なら一メートルで迷う。

型枠の通りは直せても、この性格の通りだけは、まだ少し悪い。

つよし