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コンクリートを打つ前の日は、眠れない話

型枠大工をしていると、コンクリートを打つ前の日に少し眠れなくなることがある。

少し、と書いた。

本当はまあまあ眠れない。

布団に入る。

目を閉じる。

寝ようとする。

すると頭の中で、今日組んだ型枠が勝手に出てくる。

あそこ、ちゃんと締まってたかな。

あのセパ、効いてるかな。

通り、大丈夫だったかな。

高さ、間違ってないよな。

あの角、コンクリート入った時に耐えるよな。

いや、耐えてくれ。

頼む。

お前ならできる。

もはや型枠を励ましている。

普通の人は、寝る前に明日の予定とか、夕飯のこととか、子どものこととか、そういうことを考えるのかもしれない。

型枠大工は違う。

寝る前に型枠がパンクする想像をする。

最悪である。

しかも想像の中の型枠は、なぜかとても元気よくパンクする。

現実ではそんな簡単にいかないように、ちゃんと組んでいる。

締めるところは締めている。

確認もしている。

何度も見ている。

それでも不安になる。

コンクリートというものは、やさしい顔をして入ってくるわけではない。

入ってしまえば重い。

押す。

広がる。

逃げ道を探す。

弱いところがあれば、そこを見つける。

なかなか性格が悪い。

こちらが「そこだけはやめてくれ」と思っているところに限って、狙っている気がする。

もちろん、全部ただの被害妄想である。

でも、コンクリート前日の夜は、そういう気持ちになる。

精度も気になる。

図面通りにできているか。

通りは大丈夫か。

高さは合っているか。

逃げは見ているか。

次の工程で誰かを困らせないか。

型枠は、コンクリートを打ってしまえば言い訳がしにくい。

打つ前なら直せる。

打った後では、直すのが大変になる。

だから前の日に不安になる。

あれでよかったのか。

もう一回見ればよかったか。

いや、見た。

見たけど、もう一回見たかった。

こうなると、終わりである。

見ても不安。

見なくても不安。

寝ても不安。

起きても不安。

型枠大工の心は、コンクリート前日だけ妙に繊細になる。

普段は多少のことでは動じない顔をしているくせに、夜になると急に繊細になる。

昼間は「大丈夫、大丈夫」と言っていた人間が、布団の中で「本当に大丈夫か」と自分に確認している。

情けない。

でも、たぶんこの情けなさは大事なのだと思う。

まったく不安にならない人より、少し不安になる人の方が、最後の確認をする。

少し疑う人の方が、もう一度見る。

少し怖がる人の方が、締め忘れに気づく。

もちろん、不安になりすぎてもよくない。

寝不足で現場に行ったら、それはそれで危ない。

だから本当は、確認するところを確認して、あとは寝るのが一番いい。

分かっている。

分かっているが、頭の中の型枠がうるさい。

「俺、大丈夫かな」

知らん。

大丈夫なように組んだだろ。

寝かせてくれ。

そんな会話を、心の中で何度かする。

そして朝になる。

現場に行く。

もう一度見る。

やっぱり少し気になるところを見る。

締めるところを締める。

確認するところを確認する。

コンクリートが入る。

その時間は、いつも少し緊張する。

型枠が静かに耐えているのを見る。

よし。

そのまま。

そのままいけ。

また型枠を応援している。

人には聞かせられない。

無事に打ち終わると、少しだけ力が抜ける。

大げさな達成感ではない。

拍手もない。

表彰もない。

ただ、パンクしなかった。

精度も大丈夫そうだ。

その事実だけで、かなりうれしい。

たぶん職人の喜びというのは、そういう地味なところにある。

何も起きないこと。

予定通りに進むこと。

次の人にちゃんと渡せること。

外から見れば、ただコンクリートを打っただけかもしれない。

でもこちらからすれば、前の日の不安も、夜中の想像も、朝の確認も、全部込みで一つの仕事である。

コンクリート前は、型枠がパンクしないか、精度は大丈夫か、不安で眠れなくなることがある。

できればぐっすり寝たい。

本当に寝たい。

でも、その不安があるから、今日も確認する。

その不安があるから、もう一度見る。

まあ、できれば次からは、型枠の方から「大丈夫です」と一言連絡してほしい。

そしたら、こちらも少しは安心して眠れる。

つよし