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これから夏が来ます。
現場から戻って車に乗ろうとしたら、ハンドルが少し熱かった。
まだ五月なのに、と思った。
いや、もう五月の終わりなのかもしれない。
エンジンをかけ、窓を開けてみても、入ってくる風はもう涼しいとは言えなかった。服の背中には汗が張りついている。首の辺りにも砂埃が残っている。鏡を見ると、なんだか自分だけ一日分、きちんと老けている。
夏が来る。
毎年、同じことを思う。
また夏が来るのか、と。
子どもの頃の夏は、始まる前から少し騒がしかった。夏休み、海、祭り、花火、アイス、夜更かし。何をするか決まっていなくても、とにかく何かが起きそうな気がしていた。
大人になってからの夏は、少し違う。
現場は暑い。
日差しは強い。
朝から汗をかく。
飲み物を何本買ったか分からなくなる。
帰宅すると風呂に入る前に少しだけ座りたくなり、その少しだけが長くなる。
夏は楽しい季節だったはずなのに、いつの間にか体力との相談になっている。
それでも不思議なもので、夏が嫌いになったわけではない。
夕方になって、少しだけ風が出てくる時間がある。
現場の音が止まり、道具を片づけ、空を見上げると、まだ明るい。今日も一日終わったのに、世界だけはまだ終わる気がないらしい。
そういう時間が、私は割と好きである。
何か特別なことが起きるわけではない。
急に人生が好転するわけでもない。
仕事の悩みが消えるわけでも、求人の電話が鳴るわけでも、見積もりの数字が勝手に合うわけでもない。
ただ、今日は暑かったな、と思う。
それだけである。
けれど最近、そういう「それだけ」のことを、前よりも大事に考えるようになった。
朝、子どもが眠そうな顔をしていること。
帰宅したときに家の中が少し散らかっていること。
冷蔵庫に自分が買った記憶のない飲み物が増えていること。
妻が何気なく言った一言を、夜になってから思い出すこと。
現場で若い子が昨日より少しだけ動けるようになっていること。
昔なら見過ごしていたことばかりである。
たぶん、毎日は劇的には変わらない。
何かを成し遂げた日よりも、何も起きなかった日のほうが圧倒的に多い。仕事をして、帰って、風呂に入って、飯を食べて、眠る。書いてしまえば、それだけの人生にも見える。
それだけの人生で、何が悪いのだろう。
そんなことを思うようになったのは、歳を取ったからなのか、子どもができたからなのか、それとも単に疲れているだけなのかは分からない。
たぶん全部である。
夏が来ると、一年が進んでいることを嫌でも知らされる。
日が長くなり、汗をかき、蝉が鳴き、台風が来て、気がつけば夕方の風が少しだけ涼しくなる。
今年の夏も、いつか終わる。
毎年同じように来て、毎年同じように終わる。
それなのに、こちら側だけは少しずつ変わっている。
去年抱っこしていた子どもは歩くようになり、歩いていた子どもは走るようになる。自分は自分で、少しずつ疲れやすくなり、少しずつ考えることが増え、少しずつ守りたいものが増えていく。
増えたものばかりではない。
減ったものもあるのだろう。
勢いだけで何とかできると思っていた若さとか、いつでもやり直せると思っていた時間とか、寝ればすべて回復していた身体とか。
寝ても回復しない日がある。
これは少し困る。
ただ、それでも朝になれば仕事に行く。
靴を履き、車に乗り、まだ眠そうな道を走る。
コンビニに寄って、冷たい飲み物を買う。
そのうち店員さんにも、顔を覚えられるのだろう。
夏が来る。
今年もきっと、暑いのだろう。
何度も嫌になるのだろう。
もう無理だと思いながら、それでも夕方になると少しだけ風が吹くのだろう。
その風に、たぶんまた救われる。
大げさなことではない。
人生は案外、そういうもので持ちこたえている。
冷たい飲み物とか、夕方の風とか、子どもの寝顔とか、帰宅したときの「おかえり」とか。
大きな幸福ではない。
ただ、大きな幸福よりも、こういう小さなもののほうが、毎日の近くにいる。
これから夏が来ます。
だから何だと言われれば、別に何でもない。
今年も暑くなる。
今年も汗をかく。
今年も疲れる。
それでも、去年とは少し違う自分で、去年とは少し違う家族と、去年とは少し違う日々を過ごす。
そういう夏が、これから来る。
悪くないな、と思う。
以上、高良班 つよしでした