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男なら分かってくれると思うが、男には突然、意味もなくカッコつけてしまう瞬間がある。
沖縄から福岡空港へ向かう飛行機の中で、CAさんが飲み物を配っていた。
「お飲み物はいかがですか?」
自分はコーラが好きなので、普通にコーラを頼もうと思った。
コーラください。
それだけでいい。
なのに、CAさんが目の前まで来た瞬間、なぜか言った。
「あ、いらないです」
自分でも意味が分からなかった。
飲みたい。
普通に飲みたい。
前の席の人が飲んでいるコーラを、さっきから少し見ていた。
それなのに断った。
CAさんが去ったあと、隣にいた妻が言った。
「何をかっこつけてるの? コーラ好きじゃん」
一瞬でバレた。
自分はすぐに答えた。
「いや、かっこつけてないよ」
本当は、かっこつけていた。
何なら、かなり純度の高いかっこつけだった。
飛行機でコーラを頼むことの何が恥ずかしいのか、自分でも分からない。
大人の男ならコーヒーとか水とかを頼むべきだと、一瞬どこかで思ったのかもしれない。
でもコーヒーすら頼んでいない。
ただ喉が渇いた男が、コーラを我慢しただけである。
何も得していない。
妻は笑っていた。
でも「かっこつけてない」と言ってしまった以上、もう後には引けない。
つまり自分は、
「CAさんの前だからクールに振る舞った男」
ではなく、
「もともとこういうクールな男」
という設定で生きていかなければならなくなった。
コーラ一杯を断っただけで、人格設定が一つ増えた。
そして翌日、大分県にあるハーモニーランドへ行ってきた。
サンリオのテーマパークである。
子どもが好きなキャラクターに実際に会える。
親として、これ以上分かりやすく正しい休日はない。
問題は一つだけだった。
自分はハーモニーランドについて、ほとんど何も知らなかった。
サンリオの何かがある。
大分にある。
キティちゃんがいる。
以上。
情報量としては、道端の看板とほぼ同じである。
それでも出発前の自分には、妙な自信があった。
「まあ、普通の遊園地だろ」
遊園地というものは、だいたい分かる。
乗り物がある。
キャラクターがいる。
これまでの人生経験から、そこまでは読めている。
だから完全に油断していた。
到着するまでは。
駐車場に車を止め、入口へ向かって歩いていると、すでに周囲の空気がおかしかった。
子どもたちが仕上がっている。
キティちゃんのカチューシャ。
シナモんロールのバッグ。
全身ピンク。
中には、全身をキティちゃんグッズで完全武装している大人までいる。
対して自分は、普通のTシャツだった。
まずここで気づいた。
服装を間違えたかもしれない。
入園すると、さらに世界が変わった。
とにかく、かわいい。
入り口からもう、かわいい。
建物もかわいい。
乗り物もかわいい。
音楽もかわいい。
歩いている人まで、なんとなくかわいく見えてくる。
その中を、自分も歩く。
型枠大工の男が。
完全に異物である。
自分だけが、かわいくない。
圧倒的に。
家族写真を撮ったら、ハーモニーランドの世界観に一人だけ作業員が紛れ込んだみたいな感じだと思う。
普段はベニヤと桟木に囲まれている人間が、突然キティちゃんの世界に放り込まれている。
色が違いすぎる。
現場なら、
「そこセパ入ってないよ」
とか言っている。
今日は、
「シナモンいた!」
である。
落差がすごい。
しかも、自分にはもう一つ問題があった。
妻である。
正確には、妻の視線である。
昨日、自分は飛行機の中で言ってしまった。
「かっこつけてないよ」
つまり今日ここで、
「うわ、キティちゃんだ!」
などと全力ではしゃいでしまったら、昨日のコーラの件まで全部さかのぼって有罪になる。
妻から、
「やっぱり昨日かっこつけてたじゃん」
と言われる。
それだけは避けたい。
なぜ避けたいのかは分からない。
別に裁判でもない。
妻もたぶん、もう忘れている。
でも自分だけは覚えている。
だから園内に入って最初のうちは、妙にクールだった。
娘が、
「キティちゃん!」
と指を差す。
自分も見る。
普通にテンションは上がっている。
でも妻がいる。
「おー」
このくらいにしておく。
娘が、
「シナモン!」
と言う。
かわいい。
普通にかわいい。
でも妻がいる。
「へえ」
何の「へえ」なのか。
完全に楽しんでいるのに、楽しんでいない人の演技をしていた。
ハーモニーランドに来てまで、昨日断ったコーラの辻褄を合わせている。
園内を歩いていると、いろいろなキャラクターがいる。
娘はそのたびに反応する。
自分も最初は、
「おー、かわいいね」
と余裕を持っていた。
だが問題が起きた。
知らないキャラクターが増えてきた。
娘が何かを指差した。
「あれ誰?」
知らん。
こっちはキティちゃん一本でここまで来ている。
キティちゃんという大黒柱だけでサンリオを理解したつもりになっている。
その後も娘は容赦なく指を差してくる。
「あれは?」
「キティちゃんの友達だよ」
「あれは?」
「キティちゃんの親戚」
「あれは?」
「たぶん、かなり仲いい知り合い」
もう名前を答えることを諦めて、人間関係で答え始めた。
最終的には、園内にいる知らないキャラクター全員をキティちゃんの知り合いということにした。
子どもは当然テンションが高い。
「パパ、シナモン!」
と言って走っていく。
自分も後ろから、
「どこ?」
と言いながら追いかける。
ここでも最初は、まだ妻を意識していた。
走っているけど、はしゃいでいるわけではない。
父親として追いかけているだけ。
そういう顔をしていた。
誰も聞いていないのに、自分の中でずっと弁明している。
ところが少しずつ、その設定が崩れていく。
数時間前まで、
「シナモンって犬なの?」
くらいの知識だった男が、
「あ、あっちにもシナモンいるよ」
と誰より先に見つけ始める。
環境への適応が早すぎる。
現場で新しい図面を渡された時より理解が早い。
最初は完全に、
「子どもが喜ぶなら」
という父親の立場だった。
自分は付き添い。
主役は子ども。
今日は家族サービス。
そして何より、自分はクールな男。
そういう設定だった。
ところが一時間くらいすると、おかしくなってくる。
キャラクターの名前を覚え始める。
「あれ誰?」
と聞いていた自分が、
「あれポムポムプリンじゃない?」
と言い始める。
成長が早い。
型枠の専門用語を覚えた時より早い。
さらに怖いのが、写真である。
最初は子どもだけ撮る。
「そこ立って」
「こっち向いて」
「はい、笑って」
普通の父親である。
そのうち、
「せっかくだから一緒に撮るか」
となる。
ここで一瞬、妻の顔を見る。
危ない。
昨日の自分がいる。
クールな男は、キティちゃんの横でピースなどしない。
そう思った。
数秒後。
ピースしていた。
しかも、ちゃんと笑っていた。
何の抵抗もない。
朝の自分に見せたい。
お前、数時間後にはキティちゃんの横でピースしてるぞ。
たぶん信じない。
「いや、自分そういうのいいから」
とか言うと思う。
黙れ。
お前は昨日コーラすら頼めなかった。
そして昼を過ぎた頃には、完全に忘れていた。
妻の視線も。
昨日のコーラも。
クールな男という設定も。
全部忘れた。
キャラクターを見つければ、
「あ、いた!」
と普通に言う。
娘より先に手を振る。
乗り物にも乗る。
普通に楽しむ。
写真も撮る。
ショップに入れば、
「これかわいいな」
と自分から言う。
もう誰も止められない。
妻が横にいることすら、かっこつける材料ではなくなっていた。
人間、楽しさが一定量を超えると設定を維持できないらしい。
朝、
「子どもが喜べばそれでいい」
みたいな顔をしていた男が、
帰る頃には普通に一番楽しんでいた。
ハーモニーランドを出る時、子どもに聞いた。
「楽しかった?」
「楽しかった!」
よかった。
そう思いながら駐車場へ向かった。
そこでふと、自分のスマホの写真を見た。
キティちゃん。
ポムポムプリン。
子ども。
キティちゃん。
自分。
何かのキャラクター。
自分。
自分。
思ったより自分が写っている。
付き添いの写真量ではない。
しかも後半になるほど、自分の笑顔が仕上がっている。
最後の方なんて、娘より自分の方が楽しそうに写っていた。
つよし